【4人家族】私たちの【タイ移住】とバンコクで【起業】するまで。

今月で「タイ移住」して12年目のブリ子です。

移住12年目の記念に、私たちの【タイ移住とバンコクで起業するまで
をまとめてみました。

私たち夫婦の”30代”は、まるごとこっちでの生活でした。

子育てもほぼバンコク。

2010年にタイ移住して、2年後の2012年に起業して。

超濃厚な3年間!

ダメなら帰れば良い!」と開き直って、ここまで何とか来ました。

タイ移住計画を考えている。
タイで起業を考えている。

そんな人たちの、何かのヒントになれば嬉しいです☆

それでは~レッツラゴー♪

どうして”タイ”に移住しようと思った?

結婚したら、「海外に住む」のが夢でした。

初めは、ほぼ私だけの夢でした。

色いろ夢を熱く語っていくうちに、夫婦で同じ気持ちになっていきました。

ほんと言うと、オーストラリアとか英語圏に住みたかったんですけど。

知り合いがバンコクでITの会社を経営されていたんです。

縁ですね。

そのことがきっかけで、夫婦でバンコク旅行に行った事がありました。

この旅行の時は、まだタイに住みたいとかそうゆう思いはあまりなかったです。

海外にある会社へ”社会見学”に行ってみるノリで行きました。

それが、移住する3年前です。

今思えば、このアクションが良かったのですね。

その後、現地採用の日本人を募集しているという連絡をもらいました。

一度会っているので、そのあとはスムーズに話が進みました。

海外に住みたいという気持ちがあったので、

「まずは身近なアジアで海外生活に慣れよう」

「慣れたらまた英語圏の国に移住すればいい」と考えていました。

気付いたら12年も住む事に笑

若いうちに思い切って良かったと思ってます。

深く考えすぎていたら、きっと行動できてなかった気がします。

子どもも、まだ1人だけだったし、小さかったから逆に動けました。

私たちがバンコクに来た2010年は、デモ隊と治安部隊が衝突してた時期。

小さな子連れ移住には、不安と恐怖のスタートでしたが。

今思えば、家族そろって渡タイしたのも良い判断でした。

色んな人に反対されましたが。

2010年 タイ移住と現地就職

数カ月前からタイ移住の準備

住んでいたマンションを退去して、出発まで実家にお世話になりました。

必要最低限の荷物を船便で送りました。

段ボール10箱くらい送った記憶です。

全部バラバラに到着しましたが、ちゃんと届きました。

べこべこにへこんでましたが。

投げられた?笑

現地就職の始まりは?

夫は、現地の日系ITの会社に採用されました。

現地採用ですね。

ブリ子はワーホリと留学経験があります。

なので、どちらかと言うと海外生活も受け入れやすかったです。

夫にとっては、初の海外生活でした

タイ語はもちろん、英語もほとんどしゃべれない状態で来ました。

日本での”IT技術者”としての経験があったので、それが良かったのだと思います。

会社が終わると、ほぼ毎日スカイプで英語レッスンを受けていました。

子どもを寝かしてから、私が英会話の相手をしたり。

言葉は使う事でどんどん覚えていきます。

”習うより慣れろ”で、言葉も環境にも慣れて、どんどん上達していくのが見えました。

移住してからの暮らし

一番最初に住んだ街はどこ?どんな家?

私たちのバンコク生活のスタートは、「アソーク」という街でした。

1ベッドルームで85平米の部屋を会社に用意してもらいました。

日本のマンションに比べたら、めちゃくちゃ広い!

だけど、寝室は1つみたいな。

だーんと広い。

海外の家って感じですね。

最初は、なんだか落ち着かない感じでした。

家賃は3万THBちょっとです。

駐在員さんが住んでるマンションの半分くらいでしょうか。
 

でも、必要なものはそろっていたし、満足でした。

古くて広いコンドは電気代が高い

古いコンドだったので、クーラーが古く(音がぶいーんぶいーんうるさい)

そして電気代が高い。。!

部屋が広いので、電気代はほぼエアコン代で、毎月7000バーツくらいでした。

ちなみに家賃代などは、給料には含まれません。

バンコクの空気が悪い

バンコクは車社会なので、空気が悪いせいか、2歳の娘が頻繁に咳をするようになりました。

アソーク周辺は特に車が多いです。

なので移住後すぐ、良い空気清浄機を買いました。

結果、ものすごく改善されたわけではなかったんですけど。

もともとハウスダストに弱く、まだ小さかったので気管が弱かったのもありました。

小さい頃は、何度も病院に通いました。

このまま咳がずっと続くなら、「日本に帰らなきゃいけないのかな」とも思いました。

幸いにもバンコクの生活環境にも慣れてくれて、半年くらいで徐々に強くなってくれました。

バンコクに来て数カ月の暮らしは、どんなの?

アソークと言えば、日本人が多く住んでいる有名な街です。

私たちの住んでいたコンド周辺は当時、日本人があまり住んでない地域でした。

同じコンドに唯一いた、「タイ在住ベテラン日本人家族」と出会いました。

そこらじゅうでカルチャーショックを受け、タクシーではぼったくられ。

英語で話しかけると「あ?」と返され笑。

悔しいから、毎日タイ語辞書を持ち歩く。(その頃はガラケー)

そんな話をバンコク在住の”ベテランママ友”に聞いてもらう事。

それが、当時の私にとってストレス発散でした。

そこで「タイ人との付き合い方

「タイってこんなところ」と言うのを教えてもらいました。

「みんな感じてることなんだ、自分だけじゃないんだ」とわかると、気分も楽になりました。

そうゆう友達が周りにいるのって、最強です。

そんな当時のあこがれ先輩家族も、もういなくなっちゃったわけですが。

初めてのアヤさん(お手伝いさん)

アヤさん”とは、メイドさんの事を言います

タイ在住の日本人の間では、お手伝いさんを”アヤさん”と呼びます。

どうしてこう呼ぶのかは謎で、よくわかりません。

契約内容にもよりますが、子どもの面倒や家事全般をお手伝いしてくれます。

我が家では週3回、お願いすることにしました。

「掃除、洗濯、アイロンがけ」 この3つが基本です。

家に知らない人が出入りする環境は、日本人にとっては慣れないものです。

掃除に来てもらう日に、わざわざ自分で掃除しちゃうとか。

意味がわかりませんよね笑

どうしてもお客さん扱いしてしまう。

最初は、そんな感じでした。

アヤさんとの関係って、ずっと続くと結構ふかいんですよ。

タイ語が一気に上達できたのも、”タイのあれこれ”教えてくれた事も、ものすごく感謝してます。

友達の紹介で来てくれることになった、うちの”アヤさん”。

生まれたばかりの長男の世話に集中できて助かりました。

お給料は週3回3時間で3000THBスタート。

毎年数百バーツアップしていきました。

今の相場はもっと高いかな??

年に数回は気持ちですが、ボーナス的なものも渡していました。

最後のお別れの日には、引っ越しも手伝ってくれて。

別れ際にハグして泣いてくれました。

これを見たとき、「あー、良い関係が築けていたんだな」って、嬉しく思いました。

来タイすぐ、日本人の友達はどうやって作った?

日本人の友達を作ることは、バンコク生活を豊かにしてくれると思います.
なので、やっぱり手っ取り早くタイ語学校に通いました。

来タイしてすぐの同じ境遇の日本人の仲間がいっぱいできました。
最初の数カ月で、片言でもタイ語を学んでおくことは、行動範囲も広がって良いと思います。

最初は、必死に数字を覚えました。

数字は、買い物の時に役立ちます。

数字くらい英語でもわかってくれるタイ人が多いです。

だけどタイ人も、こちら側がタイ語で数字を理解していると喜んでくれます。

場の雰囲気が良くなるし、話も弾みます。

日本に住んでる外国人が、一生懸命日本語で話してくれると嬉しいじゃないですか。

たとえ上手じゃなくても、聞いてあげたくなりますよね。

ずっと住んでいくとなると、こうゆうのはやっぱり大事だと感じます。

今話せるタイ語は、来タイして数年で覚えた言葉がほとんどです。

今は長年の経験から、「だいたいこうゆう事を言ってるだろうな」で生活してます。

ちなみに、タイ語学校でできた7人くらいの友達は、もう誰一人バンコクにはいません。

全員が駐妻さんでした。

早い人は2年くらいで日本へ帰国してしまいます。

そこが寂しいですね。「出会ってお別れして」の繰り返しです

来タイしてすぐ、子どもの学校はトラブルからスタート

来タイして数週間で、日本の幼稚園に行かせました。

2歳にして幼稚園デビューです。

が、、

登校初日、いきなり問題発生です!

お迎えのバスが来ない。

幼稚園に電話すると、ドライバーが忘れていたと・・。

”タイあるある”のひとつですが、なんでも最初はトラブル発生するんです。

1時間くらい遅れて、オーナーのタイ人が自家用車でお迎えに来てくれました。

これ以降、なんでも初日は余裕をもって、トラブル当たり前!精神に切り替わりました。

1年後 長男妊娠そして日本で出産

妊婦検診はどこで?

バムルンラード病院に通っていました。

友達がススメてくれました。

もちろん海外では補助金などいっさいないので、全額が自費です。

検診の後、受付で支払いを待っているときは「毎回いくらになるのか」ドキドキで待ってました。

日本の実家に出産のため帰省

飛行機に乗れるギリギリの月数で日本に帰りました。

妊婦で子連れで、しかも香港で乗り継ぎ。

直行便もあるけど、そんな余裕など当時はなかったです。

飛行機代節約!

この上ないハードな1日でした。

第一子も帝王切開だったので、第二子も帝王切開。

なので、スケジュールもスムーズに決めれました。

夫も手術日に合わせて日本に来てくれたのは助かりました。

日本で「100日のお食い初め」を少し早め、母子3人でバンコクに戻りました。

 

起業する 現地就職して約2年後

色いろ夫婦で話し合い、起業することになりました。

第二子も生まれ、現地採用のお給料では満足いく暮らしはできないと言う事になり。

それが、起業しようと決めた一番の理由でした。

「日本に帰るか、このままタイに残るか。」

「ずっとタイで暮らしたい」

日本で貯めたお金が見事になくなったけど、人生一回こっきり。

「逆境には、人を変える力があるんだ!」

そう決心した翌日の朝は、いつも見慣れたバンコクの景色が今までとは違って見えたのを覚えています。

PE-BANK

新築コンドに引っ越し

お金もこれから必要だったし、引っ越ししました。

部屋は狭くなったけど、新築で家賃も安い良い物件でした。

だいぶ生活が楽になりました。

車を買いました

起業すると、色いろ動き回るのに車が必要なので、新車を買いました。
家族で今まで行けなかったところにも行けたりと、行動範囲も広くなって、生活がしやすくなりました。

まとめ

タイは、日本人が移住したい国ランキング第4位だそうです。

一年中温暖だし、厳しい冬がないから過ごしやすい。

服装も楽ちん。

それに人も温かいし、親日国なので働きやすい。

日本食はどこでも食べれるし、しかも美味しいし!

嫌な事だってもちろんあります。

自分にとっての「常識」は、相手にとって「非常識」。

自分が「理想」とする結果に期待してしまって、ガッカリすることも、いっぱいあります。

だけど、見えなかった部分が見えただけであって、これも「タイ」。

「海外で住むということ」と、だんだん受け止められるようになっていった時、ますます住みやすく感じました。

自分の変化ですね。

それは、どの国、どこにいてもきっとそうなんだと思う。

これからも挑戦は続きます!

読んでいただき、ありがとうございました。

では、また!